背景:オゾン層破壊物質でありながら、検疫用途は例外とされてきた
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本ページは制度と公表資料の整理であり、薬剤の使用方法や処理条件の手順を示すものではありません。処理の実施は、法令・要綱に従う登録事業者の責任で行われます。
臭化メチルは、かつて土壌くん蒸や貯蔵穀物、検疫のくん蒸に広く使われた薬剤です。オゾン層を破壊する物質であることから、モントリオール議定書の下で段階的な全廃が進められてきました。日本くん蒸技術協会の解説を引用した日本植物防疫協会の資料によると、先進国では2005年、途上国では2015年に臭化メチルは全廃されましたが、検疫処理用と不可欠用途は規制から除外され、現在も使用が認められているとされています。日本でも、土壌くん蒸に使われていた不可欠用途の臭化メチルは、平成24年(2012年)12月31日で全廃されました。
農研機構が2018年にまとめた資料は、臭化メチルについて、オゾン層破壊物質に指定され、検疫用のみが規制対象から除外されているものの、使用量の削減と代替剤の開発・導入が強く求められている、と説明しています。つまり、検疫のくん蒸は例外として続いているものの、削減の圧力は続いており、業界は代替技術の導入と並行して、臭化メチルを使い続けるための管理も求められています。
検疫用途が例外とされている背景には、検疫が相手国との条件で成り立っているという事情があります。輸出する側は、輸入国が認めた処理方法でなければ、貨物を出荷できません。新しい処理方法に切り替えるには、薬効と薬害の試験、基準の作成、そして輸入国との二国間協議を経て、輸入国が処理法として受け入れる手順が必要です。この手順に時間がかかることが、代替技術の導入が進みにくい要因の一つとされています。
本ページでは、この状況を踏まえ、代替くん蒸剤、物理的な処理、低酸素処理といった選択肢の公表状況を整理します。重要なのは、研究段階の技術と、制度上すでに認められている技術を区別することです。以降の各セクションでは、公式資料で確認できる位置づけを併記します。
日本の検疫くん蒸で想定されている薬剤:要綱の対象
日本の植物防疫所は、植物検疫くん蒸における危害防止対策要綱の中で、くん蒸に用いる薬剤を示しています。要綱が対象として扱うのは、臭化メチル、青酸ガス、燐化水素(燐化アルミニウムを含む)、ヨウ化メチル、二酸化炭素、およびこれらの混合ガスです。要綱は承認された薬剤の一覧を掲げているわけではなく、危害防止の観点から、これらのガスを扱う際の安全措置を定めたものです。燐化アルミニウムについては、都道府県知事の指定を受けた業者であることなどが求められています。
薬剤ごとの特性は、安全管理の項目に現れます。要綱は、くん蒸後にガスを開放して作業者が立ち入ってよい濃度の上限を、抑制濃度として薬剤ごとに定めています。防毒マスクの種類も薬剤によって異なり、燐化水素では全面型の隔離式防毒マスク、青酸ガスでは全面型の青酸用防毒マスクを使うことなどが定められています。二酸化炭素は、濃度が高くなるおそれがある場所では空気呼吸器または送気マスクを使うとされています。こうした薬剤別の規定は、代替剤へ切り替える際にも、安全管理の枠組みを見直す必要があることを意味します。
薬剤の選択は、貨物の種類と輸入国の要件に左右されます。穀物のサイロでは燐化アルミニウムを使ったくん蒸が行われ、青果物や木材のくん蒸では別の薬剤が使われる例があります。事業者の公式サイトにも、臭化メチルとリン化アルミニウムを使うくん蒸設備や、臭化メチル、シアン化水素(青酸)、リン化アルミニウムなどを使うくん蒸事業が紹介されています。ただし、薬剤の組み合わせや使用条件は、法令と要綱が優先され、事業者ごとの判断で自由に決められるものではありません。
代替くん蒸剤の公表状況:ヨウ化メチル、燐化水素、フッ化スルフリル
ヨウ化メチル
農研機構が2018年3月にまとめた成果集によると、日本は世界に先駆けて、国産クリのクリシギゾウムシなどの防除で、臭化メチルの代替剤としてヨウ化メチル剤を導入し、一定の成果を挙げているとされています。同じ成果集では、ヨウ化メチル剤をより広い作物に適用するため、特に輸出検疫で問題となっている害虫に対する薬効薬害の試験を行い、基準(案)を作成したと記されています。成果集は、今後、二国間協議を経て輸入国がこのくん蒸技術を植物検疫処理法として受け入れれば、生果実の安定した輸出が期待できると位置づけています。この技術マニュアルは、農研機構と一般社団法人日本くん蒸技術協会が共同で作成しました。
燐化水素(リン化アルミニウム)
燐化水素は、燐化アルミニウムから発生させて使うくん蒸ガスで、穀物のサイロくん蒸に広く使われています。農研機構の成果集は、利便性の向上が見込まれる技術として、リン化アルミニウム剤のサイロ空間部への投薬循環くん蒸技術を確立し、穀物への使用の標準化も検討したと記しています。ただし、燐化水素は電子機器を腐食するおそれがあるなど、使用する場所によって制約があることが、日本植物防疫協会の資料で指摘されています。代替剤は、貨物や施設に応じた適合性の確認が必要です。
フッ化スルフリル
フッ化スルフリルは、木材こん包材の処理方法として国際基準ISPM15に追加された薬剤で、2018年4月のCPM-13で採択されました。ただし、日本の植物防疫所の質問集には、フッ化スルフリルに関する詳細の記載はなく、国際基準の附属書の参照が案内されています。また、日本植物防疫協会の資料には、南アフリカの製粉場の事例として、同国でフッ化スルフリルが未登録である旨の記述があります。国ごとの薬剤の登録状況によって、利用できるかどうかが変わる点に注意が必要です。
熱・低温・蒸熱・照射処理:国際基準ISPM28に収載された処理
薬剤を使わない物理的な処理は、国際基準ISPM28(植物検疫処理)に、附属書として収載されています。国際植物防疫条約(IPPC)によると、ISPM28は、植物検疫措置委員会(CPM)が評価・採択した処理を附属書として示す基準で、低温処理、蒸熱処理、放射線照射処理などが含まれています。たとえば、レモンに対するクイーンズランドミバエの低温処理(PT18)は2015年、パパイヤに対する特定のミバエの蒸熱処理(PT21)は2016年、マンゴーに対するクイーンズランドミバエの蒸熱処理(PT31)とオレンジに対する地中海ミバエの低温処理(PT24)は2017年に採択されました。2022年4月の第16回CPMでは、新たに5つの植物検疫処理が採択されています。
放射線照射については、国際基準ISPM18が、ガンマ線、電子線、X線を照射し、吸収線量(Gy)で処理強度を管理する方式を扱っています。農林水産省の資料によると、ISPM28の附属書に収載された放射線照射処理基準は、2024年9月時点で23本あり、チチュウカイミバエやコドリンガなどが対象です。ISPM28は、農薬の登録や、照射の承認といった国内の要件は対象としていないため、国内での利用には各国の制度の確認が必要になります。
日本では、輸入果実などへの放射線照射を検疫処理として用いる制度は、農林水産省の公表資料では確認できません。量子科学技術研究開発機構の高崎量子応用研究所が紹介するようなリンゴやミカンの照射試験、植物防疫所の調査研究報告に掲載された電子線照射の試験などは、研究段階の取り組みとして位置づけられます。照射の利用が進むかどうかは、食品照射に関する国内の制度や、消費者の受け止めも関わるため、検疫処理の技術だけでは決まりません。
農研機構果樹研究所などが2005年度から2007年度に行った研究では、高濃度の炭酸ガスと1-MCP剤を組み合わせた、臭化メチルに替わる植物検疫システムが検討されました。こうした物理的・化学的な組み合わせは、薬剤のくん蒸だけでは対応しにくい果実の品質保持との両立を目指すものです。いずれも、実用化には輸入国の受け入れという共通の関門があります。
低酸素処理と排出抑制:貯穀害虫の現場で進む取り組み
農研機構食品研究部門は、貯穀害虫を窒素ガスで低酸素化して殺虫する技術を開発しています。2025年の研究成果ポスターによると、7立方メートルと210立方メートルの低酸素庫を使った試験が行われ、処理に要する時間は従来の倉庫くん蒸と同程度とされています。穀物貯蔵庫や食品工場での利用が想定され、関連する特許も出願・取得されています。処理の対象物のかさ密度によって、条件に達するまでの時間が変わることも、報告されています。
この技術は、検疫のくん蒸とは異なり、国内で保管される穀物や食品原料の防虫を主な対象にしています。検疫措置として正式に採用されている技術ではなく、検疫対象害虫に対する有効性の評価は別途必要です。それでも、倉庫や食品工場の防虫を薬剤に頼らない方向に変える動きとして、倉庫害虫モニタリング・AI検知の技術と合わせて注目されます。
臭化メチルなどのガスを大気中に放出しないための排出抑制も、環境面の論点です。環境省は、オゾン層保護に関する告示で、検疫のくん蒸などで特定物質を使う場合にも、代替物質の導入を進めることを盛り込んだとされています。具体的な回収・無害化の装置や、事業者ごとの取り組みの状況は、公表資料が限られるため、本サイトでは詳細を扱いません。関心のある場合は、環境省と植物防疫所の公表資料を直接確認してください。
代替技術を評価するときの視点:制度・相手国・現場の三つの関門
代替技術の導入を考えるとき、事業者が直面する関門は、おおむね三つに整理できます。第一は制度上の関門です。薬剤であれば農薬の登録や毒物劇物の指定、労働安全衛生上の管理が関わり、物理的な処理であれば国際基準や国内の要領への収載が必要です。第二は相手国の関門です。輸出検疫では、輸入国が処理方法を受け入れなければ、技術が実用になりません。第三は現場の関門で、処理設備の投資、処理時間、貨物の品質への影響、作業員の安全管理といった実務上の条件です。
これらの関門は互いに影響します。制度上は認められていても、相手国が受け入れていなければ輸出には使えません。逆に、相手国が受け入れていても、国内の設備や資格者が整っていなければ運用できません。技術のニュースを読む際には、研究段階か、国際基準への収載か、国内の要領への反映か、相手国との協議の段階か、という位置づけを区別すると、情報の重みを判断しやすくなります。
本サイトは、特定の技術や薬剤の優劣を示しません。公式資料で確認できる範囲で、各技術がどの段階にあるかを整理することが目的です。最新の状況は、農林水産省植物防疫所、農研機構、IPPCの公開資料で確認してください。
一次情報の確認先と次のページ
- 農研機構 輸出生果実のヨウ化メチルくん蒸技術等に関する成果集(はじめに、2018年3月)
- 農研機構 輸出生果実のヨウ化メチルくん蒸技術マニュアル(未定稿)
- 植物防疫所 植物検疫くん蒸における危害防止対策要綱
- 日本植物防疫協会 臭化メチルと検疫に関する資料
- 国際植物防疫条約(IPPC) ISPM28 植物検疫処理
- 国際植物防疫条約(IPPC) 第16回CPMでの新たな植物検疫処理の採択
- 農研機構 食品研究部門 貯穀害虫の低酸素処理(2025年成果ポスター)
薬剤を使う処理には資格と安全管理が伴います。次のページ以降で、倉庫害虫のモニタリング技術、輸入コンテナの侵入生物対策、資格・安全・キャリアへと進みます。
